ヒストリー|【公式】ザ・熊本ガーデンズ|熊本県熊本市の新築分譲マンション

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熊本城(2016年3月撮影)

幾百年、歴史の舞台となってきた桜町。

加藤清正による白川と城下町の形成

長引く戦乱で荒れ果てていた肥後を立て直す。
加藤清正の熱い想いが城を築き、町を整え、
四百年もの永きにわたり、その功績が人々の誉れとして息づく熊本都心。
時代を切り開く先取の思想も、この地に受け継がれています。

文久2(1805)年 熊本之図文久2(1805)年 熊本之図

※加藤清正の時代の城下町は町全体が城の一部として機能し、町の各所に御門や番所、防火のための広小路を設置。
現在のシンボルロードは、その広小路のひとつです。出典元 : 熊本本市史 別編 第一巻

熊本城(2016年3月撮影)熊本城(2016年3月撮影)

茶臼山と呼ばれた丘陵地に加藤清正が当時の最先端技術を投じて名城熊本城を築いたのが、慶長12年。白川は現在の代継橋付近で屈曲し熊本城南側そばを蛇行しており、城の防衛上この蛇行を危険とみて白川の改修に着手。治山治水だけではなく、防災に優れた広小路の整備なども推し進めました。これにより白川は城の外堀に、坪井川は内堀となり、ふたつの川に挟まれた桜町周辺は上級武士が居を構える城下町へ。さらに藩主の起居の場「花畑屋敷」には、能舞台が配され、白川から水を引いた泉水と築山の庭園が広がり、参勤交代の際にはその行列を送迎する場としても機能しました。四百年以上経た今、庭園や文化、交流を大切にする気風も継承されています。

陽春庭中之図 出典元 : 公益財団法人永青文庫所蔵陽春庭中之図 出典元 : 公益財団法人永青文庫所蔵

明治後期、練兵場移転と官庁・企業が集積した「市街地」の形成

築城の歴史を抱きながらも、やがて熊本都心は軍都の中心へ。
明治後期に入り、都心のあり方を危惧した地元政財界の尽力で今日の市街地は形成されました。
そして今、人の想いをひとつにして、ビッグスケールの街づくりが始まります。

明治4年、熊本に鎮西鎮台の本営が置かれたことで、熊本城周辺に陸軍の駐屯地などが並び、桜町周辺は軍都熊本の中核に位置づけられました。そのため商工業の発展が滞り、明治30年地元政財界が練兵場移転と再開発に乗り出しのが、現在の市街地の始まりです。明治32年に区画整理完了し、桜橋が架設されたことを機に、桜町には熊本の中枢機能や企業が集積。ザ・熊本ガーデンズが誕生する地には、熊本県庁が置かれ、水前寺に移転されるまで行政を担い、熊本をよりよい未来へ導くことに。そして、昭和44年県庁跡地に生まれたのが、県民の要望でもあった熊本交通センターであり、賑わいの拠点として人々に大きな希望を与えました。当時は東洋一のバスターミナルとして脚光を浴び、ホテル、県下初の総合ショッピンセンター「センタープラザ」、レジャー施設などを有し、人気を博しました。そして今、熊本ならではの純白の千原桜が脈々と受け継がれ春を告げるように、歴史を動かしたこの地に、ザ・熊本ガーデンズという新たな軌跡が刻まれます。

桜町の由来となった桜橋が明治31年の面影を残す。(2017年4月撮影)桜町の由来となった桜橋が明治31年の面影を残す。(2017年4月撮影)
行幸橋そばに佇む加藤清正像の横で凛と咲き誇る千原桜行幸橋そばに佇む加藤清正像の横で凛と咲き誇る千原桜
熊本県庁(1960年1月撮影)熊本県庁(1960年1月撮影)
1973年にセンタープラザを増築した熊本交通センター1973年にセンタープラザを増築した熊本交通センター
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